循環
全ては循環の中にあります。
陽が昇り、陽が沈みます。
海の水は蒸発し、雲となり、雨となって大地に降り注ぎ、河となって海に戻ります。
植物は土地から養分を貰い、太陽の恵みを受けた葉っぱを落としその土地に還します。
野生の動物達は食物連鎖という循環に生きています。
宇宙そのものが循環で成り立っています。
星が生まれ、爆発し、それがまた新しい星になり、また爆発し、、その繰り返しです。
一人の人間が宇宙にあることも循環の一つです。
人も生まれ、やがて土に還ります。
毎日も循環です。
人は食べ、排出し、その排出されたものは地球を巡っていきます。
人は毎日新陳代謝しています。細胞が毎日何億個も入れ替わっています。
原子レベルでは呼吸の度に桁違いの循環が起きています。
鼻から入った酸素や水素や窒素やその他沢山の原子は、肺から取り込まれて体を巡り、
別の原子と入れ替わります。出て来た原子はまた肺から出され鼻から地球に戻ります。
恐らくその原子は二度と自分に戻ることはないでしょう。
その原子は宇宙を循環していて、一瞬だけ人の体に居たのです。
それもずっと体の中で循環しながら居たのです。
宇宙は循環で成り立っているのですが、それは喜びとも言えます。
つまり宇宙は喜びで成り立っているのです。
ところが、生きるということは少しだけ循環をせき止めることです。
人はせき止めたことに気付かないでいると苦しみを伴います。
何故なら、喜びをせき止めたからです。
逆に、全てが循環の中にあることと人生が一体であれば全ては喜びになります。
循環をせき止めて脂肪を体に留めたら太ります。
ばい菌やウイルスが体に入っても循環していれば出て行きます。留めると病気になります。
心も精神も同じことです。循環していれば喜びしかありません。
過度に留めると苦しみます。
お金が欲しいのは結構です。得たお金を循環させるなら喜びです。
貯めるのは苦しみを伴います。
子供に財産を残そうとするから苦労するのです。
子供はそれを自分に留めようとするから家族の諍いが起こるのです。
その地位に留まることは意味がありません。諍いのもとです。
組織がその役割を終えても存続することが社会の負担です。
物に固執するのも苦しみの素です。
壊した相手を許せなず多額の賠償金を取ったとして、
相手が苦しむのを見て喜べますか。
喜んだ自分の醜さに歳悩まされることでしょう。
「あれが無くなったから自分はうまくやれない」と物のせいにしても前には進みません。
社会から置き去りにされ苦しむだけです。
気に入ったものも循環の中にあるのです。
やがて壊れ宇宙に還ります。
好きな人を自分のものにすると辛いのです。
只、好きであればいいのです。
何時までも腹を立てていては自分が苦しみます。
何時までも悲しんでいては先に進めません。
感情を留めると苦しむのです。
感情の素となったものは外から入ってきました。
もともと自分のものではなかったのです。
人間社会を循環しているものなのです。
あなたの外に出せばいいのです。
酸素を取り込み二酸化炭素を吐き出すようなものです。
嫌な感情が沸き起こってもそれを留めず笑い話にして出せばいいのです。
その感情はしょせん自分のものではないのですから。
全てに始まりも終わりもありません。
循環です。
「あなたが最初にこうしたからこうなった」と相手を責める意味は全くありません。
その前にちゃんと事件は起こっていいたはずです。
それを追及することは無意味です。
何処かに起点を定めたとき、それは循環をせき止めることになるからです。
循環に生きることが悩みを解決してくれます。
あなたはあなたであっても宇宙のものなのです。
あなたの体もあなたのものではありません。
宇宙の原子が一時的に集まった宇宙のものなのです。
あなたの感情も喜び以外はあなたのものではなく循環が止まったという現象に過ぎないのです。
外でジョギングをしましょう。
空気があなたに当たります。
空気があなたに当たったとき、自分の原子を押し出して入れ替わっているイメージを持ってみましょう。
一歩ごとにあなたは入れ替わっています。
宇宙の循環の中にあります。
要らない感情も一緒に外に出しましょう。
あなたは循環の中にあります。
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