プライドと勇気と自由
何かをやろうとするときに使う言葉にプライドと勇気があります。たとえばプライドを持って戦うとも云うし勇気を持って戦うとも云います。一見にたような言葉なのですがこのプライドと勇気は本質的に違います。
プライドは留まる力であり、勇気は進む力です。
プライドを持つとは、城壁を作って敵から身を守ることです。プライドは城壁そのものです。
城壁は留まる力です。学閥というものがあります。何某大学卒業生としてのプライドが絆となって互助するものです。見えない互助会に入りたかったらプライドを持つことです。互助会の守りのおかげで出世できるのです。アメリカ最強の海兵隊の力の源もプライドです。プライドはとても強靭な力を持っています。しかし、どんなに強かろうともプライドは傷つくのです。なにせ構造物ですから。「お前何某大学出てんだったらこれぐらい分かれよ。」こんな言葉でプライドは簡単に傷つきます。傷ついたプライドはなかなか元に戻りません。むしろそれが劣等感に代わってしまいます。何某大学出たのにこれぐらいのことしかできない。それは強い劣等感です。劣等感はときに攻撃へ変わることもあります。「私は女のプライドを傷つけられた。」十分に殺人の動機になります。女のプライド、男のプライド、こんなものは学校とか会社とかに関わらず誰でも持っているようです。だから生まれながらにして持っていると言っていいでしょうか?そうではありません。こんなプライドも小さいときに社会から植えつけられたものです。プライドは元々あなたが持っていたのではなく、誰かが植えた垣根です。人の成長に合わせて垣根は頑丈な城壁へと成長するのです。成長させたのはあなた自身です。自分を守る城壁です。これより内側に入って来ないでねという城壁です。自分もその城壁の外へは出て行かないのです。城壁の中に棲んで、外とのやり取りは小さな窓から行っているのです。城壁がある限り外に出ていく力は存在しないのです。
勇気はただ進む力です。城壁を前提としないのです。城壁があれば進めません。城壁は無いのです。勇気は傷つくことはありません。傷つく城壁がないからです。勇気を手に入れるには城壁を壊すしかありません。城壁がある間はあなたは外界に出ていくことができないのです。あなたがプライドを持っている限り勇気は無いのです。まずプライドを捨てることを目指すのです。プライドをなくすことは城壁を壊すことです。城壁が無くなると、あなたは荒野の真っ只中に立つことになるのです。そこで初めて一歩を踏み出す勇気が沸き起こるのです。一歩踏み出した途端にあなたに訪れるのは自由です。眼前に広がる荒野を進む自由なのです。荒野は見渡す限り続いているように見えます。しかし、耕すこともできれば獲物を探すこともオアシスを探すこともできるのです。
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